2011年3月19日土曜日

東日本大震災

久しぶりのブログですが、たった1週間前までは想像すらしてなかった現在の日本。私が住んでいるのは東京ですが、今とても静かです。人がお正月?位少ないです。
東日本を襲った、地震、津波、それから引き起こされた原子力発電所の事故。

地震が起こった時、私は双子と帰宅直後で、荷物を床に置いた所でした。あ、地震?と思ってからの長かった事。かなり大きな揺れで、いったん収まりかけたようになってから、また揺れ出すが2回?高層マンションの最上階の下に位置する我が家ですが、揺れました。地震体験車に乗ってるように。しかも、あの体験車では食器や本は落ちて来ませんが、今までテレビでしか見た事の無かった状態が、目の前で繰り広げられました。食器棚、冷蔵庫の扉は開き、中身が飛び出し落下し、台所は立ち入ることは不可能なほどの危険エリアになりました。(後で聞いたら、上の階のお宅では、地震防止のストッパーも壊れたそうです)大事に集めた食器・・・なぜか高い物ばかりが割れ、残った物は安物の普段使いの物。でも最低限は残ってるので、生活には支障はありませんので、文句は言えません。リビングは、ウォーターサーバーが倒れ水浸しの所へ、本、書類、レイアウトやツールが散乱。幾つかのお気に入りだった作品も。。。。うー。
我が家のダイニングテーブルは作業台も兼ねて長辺2mを超える大きな物ですが、50センチは横に動きました。本棚も動き、倒れはしませんでしたが・・・聞くも語るも無残な有様。
南北?一定方向の揺れだったのか、東西方向の物入れ内は無事ですが、押し入れは・・・雪崩ってました。デロンギのオーブンだけは落ちなくて無事なのは嬉しかったですが、揺れてる間、倒れてくる物、家の中の危険の無いエリアのソファーから動かないように命じた子ども達は、落下してくる物でリビングが壊滅していく様子を見て大絶叫。もう、背中をさすってやる位しかできず、壊れる物は壊れていいや後で片付ければとふっ切り、揺れが収まるのを待ちました。
幸い、ネコ4匹も無事。取りあえず旦那からの所在確認メールに返信しようとするも、もう繋がらない。(旦那は揺れてる間にメールしたらしい)。こうなれば家の電話も携帯も同じなので諦めて、マンションおよび周辺の火災も無いようとなれば、自宅に居るのが先決と、お風呂に水を貯め人と猫が通る部分の割れ物の撤去に取り掛かりました。その間、テレビのニュースを付けるも、津波の被害を移す怖いから消してという子どもに、また揺れる!!また揺れる!と何度もある比較的大きな揺れに、「地震止まれ。」と繰り返す子ども。
いつもより比較的早い時間の帰宅は、卒園式を翌日に控えた最終登園日で荷物の多さから寄り道をしなかったのが幸いしました。1~2分エレベーターから降りるのが遅かったら、間違い無く閉じ込められてました。
その夜、家族とは連絡が取れ、旦那も徒歩で帰宅しました。実家は我が家より参事なようですが、怪我も無く済み、電車に閉じ込められた甥っ子も帰宅難民にならずになんとか帰宅しました。

あれから、1週間。卒園式は中止(延期)で二転三転しましたが、母達の熱い思いによりなんとか21日月曜日に執り行われることとなりました。避難?疎開?しているお宅もあるようですが、希望者だけ集まります。我が家は年中ですが、年家庭の事情で転園するお友達への別れもせず、「じゃーまた明日ね♪」と皆で別れた後だったので、気持ちの整理も区切りも出来ぬまま。普段の何気ない一言ですが、私達誰もが明日もいつも通りが普通にやってくると疑わずに居る事の如何に幸せな事だったのかを痛感しました。

災害時の備えも、考えても大変で・・・さほど・・・・いや全くか・・・していなかったのです。ちゃんと何をしておくべきかは教わっていたのに。

まさに、これを書いてる今も余震で揺れています。かなり小さい揺れですが、マンションの構造や地域がらもあるのかもしれませんが、ゆーらゆら揺れます。我が家の横?目の前?は東京湾に繋がる所です。津波も念頭に入れないといけないと再確認。我が家の周辺の歩道やショッピングエリアは、地面が揺れたまま歪んでます。動いた後が、まさにそのまま見てとれる感じです。

お隣のエリア(少し離れてるけど浦安)等に住んでる友人は、液状化で水道も電気も止まったまま。
4月から小学生の子が居ます。ちゃんと通えますように。
ネットで知り合った友人はお家は無くなったけど無事だと知らせが入った人が多くホッとしていますが、大学時代の友人はどうしているか。それ以外、友人の多くは東日本に住んでます。東北が実家の友人も多いです。連絡が出来るようになったら・・・・落ち着いたら・・・無事の便りを聞きたいと、心より祈ってます。

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