2011年3月19日土曜日

今出来る事、今すべき事。

この1週間の間に、様々な異常?とも思える状態が私の周りでも起きています。
まずは、地震の翌日。スーパーに、長蛇の列どころではありません。入場制限したりしてました。それ以降、スーパーもコンビニも・・・今までではあり得ない見た事もない状態が続いています。どうしてしまったのか・・・不安が不安を呼び、何かをしないではいられないんだとは理解しつつも、人間とは哀しい?空しい生き物なのかと思わずにいられません。
いや、私だって自分や自分の家族が可愛いです。大事ですが・・・普段から、そんなにお米もパンも牛乳も卵も、カップ麺も食べてないというか、当面それが無くたって他に食べる物あるぞー!しかも、私の住む地域は停電は除外されている所なのに、必死に電池やカイロ買わなくても大丈夫な筈。
普段、お米やトイレットペーパーを買い忘れてやばっ!となることだって・・・私はあった(汗
確かに、棚はガラガラだと、買っておかなきゃという心理にもなるけど、それが無くても大丈夫ならまぁ他でいいやと思えばいいだけ。生鮮食品やお惣菜、お弁当は売れ残ってるのにパンが無いと騒ぐ人を見ると、考えてしまう。本当に普段菓子パンを食べてるの?というおじいさんだったりすれば、なおさら。
何も、我慢すべき!と声高に言うつもりもない。せめて普通に、必要な分だけを需要したいと思う。被災していない私達は、日本の経済が落ち込まないよう、普通に仕事をして消費して生活すべきだと思おもうから。

そして、それを尻目に?東京を離れていく知人友人。何が怖いのだろう・・・いや、私だって不安が無い訳ではないけど、今東京には居られないのなら・・・いつ戻ってくるのだろう。外国から来た人で言葉も通じず、不慣れな地震と余震が怖いからと地震直後に日本を離れた人でなく、その後の原発事故による放射能のが怖いというのなら、政府や東電の発表の数値が信じられないというのなら、今後数年か十年か・・・東京には戻ってこれないのではないだろうか。
2,3日前、園のママ友は知人から「あなたは逃げないの?」と言われたそうだ。(お金あるのに、なんで逃げないの?と聞こえるよ。)

どこに、何から逃げるんだろう。この、地震大国日本で・・・海外に行った所で、被曝はあるもの。普段放射線の数値なんて気にしてない筈なのに、数倍何百倍と聞くと、不安になる気持ちは解るけど・・・今の東京のレベルは、ローマ等に比べてもまだ低い数値なのに。レントゲン撮らない?海外旅行には行かない?我が夫は、10年程前になろうか・・・放射線治療をしてるけど、おそらく・・・コントロールされてる治療ではあるとはいえ、今避難してるというその人達より強く放射線を浴びてる。
太陽の恩恵を受けてる地球は、常に放射線が降り注いでるのに。。。政府は信じられないならWHOはどう?危険とされ問題となってる放射性物質2つは、今のところ東京では検知されなかったと発表があり、渡航に問題はないと発表された。それを聞けば、戻ってくるのだろうか。

そういう人達もいるけど、こういう人もいます。
私の地元の仲良しさんのクラスメートのパパ。自ら行動してます。
http://rogerlowther.blogspot.com/
今の時期、個人のボランティアはどうかと色々意見もあると思います。でも、現地の現実の声がここにあります。なので、私も微力ながら出来る事を提供しました。これからも。
我が家の双子の通う幼稚園はプロテスタント系の幼稚園。折に触れ集う事の意味を垣間見ますが、宗教的な精神的繋がりは、こういう時に強いのかと改めて思います。
教会と言う基盤が根底にあるからなのか、全体からみればほんの少しの事なのかもしれないけど、今の所行動している事に大きな問題は無いようです。迷惑をかける事無く、無事に戻ってと祈るばかりです。

それを知っているからか、ここ数日「何が足りませんか?どうですか?」と語りかけてるだけの、レポーターやアナウンサーを見るとやりきれない。その問いかけに「もう明日食べる物が無くなります!」と答えてる被災地の人に「あぁ、そうなんですか。」で中継終わりって・・・・そこまで到達したスタッフが居るなら、物資は運べないの?
普段の何倍の数値ですとシーベルトの値を発表し、放射線の影響を避けるにはなんて専門家から対策を聞いた後に「冷静に行動を」と言われたって、はぁ?と思います。数倍、数百倍の数値と言われたら、大変だ!と思うに決まってる。しかもその直後に対応策って・・・東京でも対応が必要なのかと思ってしまう。そんなだから、運送業者が現地には行かない!だのパイロットが飛びたくないだの言い出すんだってばと思う。物資は集まってるのに、被災者に届かず餓死なんて悲しすぎる。

確かに募金は意味があるし、お金があれば物も買えますから、個人のボランティアや物資の送付ではなく募金を!はよく解るけど・・・今、この時代で餓死なんて。今までの震災とは違う側面がある気がする。

一昨日の朝起きて、1ドル77円って・・・絶句した。私達が社会人になりたての頃からは、想像すら着かない為替レート。ある程度は予測したけど、こんなには・・・しっかりしないと・・・。
銀座にも人はほとんどいない、春のセールの時期だけどお正月みたいな人出。消費も落ち込んでしまうのかなぁ。浮かれ騒ぎたい気分にはなれないけど、今、逃げ出してる場合じゃない。

いつも通り、淡々と普通に過ごします。それが、唯一今私に出来る事であり、すべき事だと思うから。

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先週の水曜日に、どうしても自分だけでは入手しきれずjoeiさんにキャンバスを分けて貰いに行ったのが、もの凄く前の事の様です。年長さんのママにプレゼントの予定でした。17個のうち11個完成しました。(卒園児コサージュも17個+先生分6個も作りした。)妹からはネックストラップを2つ頼まれ、やる事だけは沢山ある状態です。
あー、無事に今年度を終えたい!もう少し。。。。

東日本大震災

久しぶりのブログですが、たった1週間前までは想像すらしてなかった現在の日本。私が住んでいるのは東京ですが、今とても静かです。人がお正月?位少ないです。
東日本を襲った、地震、津波、それから引き起こされた原子力発電所の事故。

地震が起こった時、私は双子と帰宅直後で、荷物を床に置いた所でした。あ、地震?と思ってからの長かった事。かなり大きな揺れで、いったん収まりかけたようになってから、また揺れ出すが2回?高層マンションの最上階の下に位置する我が家ですが、揺れました。地震体験車に乗ってるように。しかも、あの体験車では食器や本は落ちて来ませんが、今までテレビでしか見た事の無かった状態が、目の前で繰り広げられました。食器棚、冷蔵庫の扉は開き、中身が飛び出し落下し、台所は立ち入ることは不可能なほどの危険エリアになりました。(後で聞いたら、上の階のお宅では、地震防止のストッパーも壊れたそうです)大事に集めた食器・・・なぜか高い物ばかりが割れ、残った物は安物の普段使いの物。でも最低限は残ってるので、生活には支障はありませんので、文句は言えません。リビングは、ウォーターサーバーが倒れ水浸しの所へ、本、書類、レイアウトやツールが散乱。幾つかのお気に入りだった作品も。。。。うー。
我が家のダイニングテーブルは作業台も兼ねて長辺2mを超える大きな物ですが、50センチは横に動きました。本棚も動き、倒れはしませんでしたが・・・聞くも語るも無残な有様。
南北?一定方向の揺れだったのか、東西方向の物入れ内は無事ですが、押し入れは・・・雪崩ってました。デロンギのオーブンだけは落ちなくて無事なのは嬉しかったですが、揺れてる間、倒れてくる物、家の中の危険の無いエリアのソファーから動かないように命じた子ども達は、落下してくる物でリビングが壊滅していく様子を見て大絶叫。もう、背中をさすってやる位しかできず、壊れる物は壊れていいや後で片付ければとふっ切り、揺れが収まるのを待ちました。
幸い、ネコ4匹も無事。取りあえず旦那からの所在確認メールに返信しようとするも、もう繋がらない。(旦那は揺れてる間にメールしたらしい)。こうなれば家の電話も携帯も同じなので諦めて、マンションおよび周辺の火災も無いようとなれば、自宅に居るのが先決と、お風呂に水を貯め人と猫が通る部分の割れ物の撤去に取り掛かりました。その間、テレビのニュースを付けるも、津波の被害を移す怖いから消してという子どもに、また揺れる!!また揺れる!と何度もある比較的大きな揺れに、「地震止まれ。」と繰り返す子ども。
いつもより比較的早い時間の帰宅は、卒園式を翌日に控えた最終登園日で荷物の多さから寄り道をしなかったのが幸いしました。1~2分エレベーターから降りるのが遅かったら、間違い無く閉じ込められてました。
その夜、家族とは連絡が取れ、旦那も徒歩で帰宅しました。実家は我が家より参事なようですが、怪我も無く済み、電車に閉じ込められた甥っ子も帰宅難民にならずになんとか帰宅しました。

あれから、1週間。卒園式は中止(延期)で二転三転しましたが、母達の熱い思いによりなんとか21日月曜日に執り行われることとなりました。避難?疎開?しているお宅もあるようですが、希望者だけ集まります。我が家は年中ですが、年家庭の事情で転園するお友達への別れもせず、「じゃーまた明日ね♪」と皆で別れた後だったので、気持ちの整理も区切りも出来ぬまま。普段の何気ない一言ですが、私達誰もが明日もいつも通りが普通にやってくると疑わずに居る事の如何に幸せな事だったのかを痛感しました。

災害時の備えも、考えても大変で・・・さほど・・・・いや全くか・・・していなかったのです。ちゃんと何をしておくべきかは教わっていたのに。

まさに、これを書いてる今も余震で揺れています。かなり小さい揺れですが、マンションの構造や地域がらもあるのかもしれませんが、ゆーらゆら揺れます。我が家の横?目の前?は東京湾に繋がる所です。津波も念頭に入れないといけないと再確認。我が家の周辺の歩道やショッピングエリアは、地面が揺れたまま歪んでます。動いた後が、まさにそのまま見てとれる感じです。

お隣のエリア(少し離れてるけど浦安)等に住んでる友人は、液状化で水道も電気も止まったまま。
4月から小学生の子が居ます。ちゃんと通えますように。
ネットで知り合った友人はお家は無くなったけど無事だと知らせが入った人が多くホッとしていますが、大学時代の友人はどうしているか。それ以外、友人の多くは東日本に住んでます。東北が実家の友人も多いです。連絡が出来るようになったら・・・・落ち着いたら・・・無事の便りを聞きたいと、心より祈ってます。